my universe

頭の中のいろんなこと

ヴィーガンになるまで、なぜなったのか

この記事を書くまでブログを公開しないと決めてた

みんなに伝えたかったこと。

 

 

 

 

 

ヴィーガンになった理由

前回の記事で紹介したようにヴィーガンになる理由はたくさんあるんだけど、

私が大きく共感するのは、動物の権利、環境問題、健康の3つかな。

 

その中でも一番の軸となってるのは、動物の権利。

 

動物がかわいそうだから肉を食べない?

私が13歳のころ、「肉が食卓に届くまで」というビデオを見つけた。

興味本位でクリックすると、そこには牛が倒されて

トラックに乗せられている映像から始まった。

その時点で続きを見ることはできなかった。

「cow」の画像検索結果

普段当たり前のように食べ物として出ている肉は

もともと生きている動物だったんだという

当たり前のようで感覚が麻痺していた事実を突きつけられたようだった。

 

その日の食卓で、親に「ベジタリアンになる」と宣言した。

しかし、まだその頃は知識もなく、

「成長には肉が必要だ」

「弱肉強食の世界なのだから、受け入れなくてはいけない。」

「ちゃんと感謝して残さずに食べればいい」

という親の意見に納得し、

じゃあ20歳、成人になったらまた考えようと決めた。

 

「好きな食べ物は肉です。」

それから中学校、高校と、何も考えず肉を食べ続けていた。

あのビデオを見たときの感情に蓋をして開けないようにしていた。

 

肉が大好きだった。

クラスなどの自己紹介では「好きな食べ物は肉です」と言っていたほど。

ステーキハウスでアルバイトもしていた。

「steak」の画像検索結果

しかしたまに、バイトでゴミを出しているとき、

生肉の入ったゴミ袋から滴る赤い血をみて

ベジタリアンになろうとした自分がいたことを思い出して

自分に矛盾を感じていた。

 

小さい頃からの夢

あまり友達にも話したことがないのだけど、

小さい頃から変わってない夢がある。

 

それは動物を助けること。

「pet」の画像検索結果

小学生の頃、獣医になることを考えた。

しかし、尽くしても救えなかったペットとの別れに立ち会えないと思った。

 

高校生の時、論文のために動物愛護センターを一人で訪れた。

そこで必死に鳴く犬や猫を見て

保健所で殺処分されてしまう動物を救う仕事がしたいと考えた。

「pet shelter」の画像検索結果

しかし、調べてみるとNPOやボランティア団体が多く、

高校生だった私は、これを仕事にして食べていけるのかなと不安になった。

 

そこで、とりあえず別の自分が好きな仕事を見つけて

副業か資金を貯めてそういうことをしようと決めた。

 

色々ブレながらも私の軸には

いつも動物を助けたいという気持ちがあった。

 

それとともに、肉を食べている自分に矛盾を感じていた。

 

ヴィーガンになる!

大学に入って2年間、親元を離れ大学の寮に移った。

自炊生活が始まった。

 

そこでベジタリアンを試したりした。

しかし知識がなく、エネルギー不足になったり結局肉を欲して続かなかった。

 

2年生になった時、YouTubeであるビデオを見つけた。

 

”Best Speech You Will Ever Hear”

 

Gary Yourofsky動物権利活動家によるスピーチだった。

 

そこでは、人が肉を食べるのはおかしいということを

生物学や倫理学の観点から説明していて、

畜産農家でどうやって肉や卵、牛乳が作られているのか、

動物がどのように扱われているのかをビデオと共に話していた。

 

彼の主張は、とても説得力があって今まで見えてた世界が

急にガラリと変わったように感じた。

 

今まで目を瞑ってきた世界、

残酷で矛盾していて悲しくて苦しい世界。

それに自分が関わっているという事実。

 

涙が止まらなかった。

 

それからヴィーガンになると決めた。

 

こっそりヴィーガン?

しかし、友達に言えなかった。

肉が食べられなければ、よく友達と行っていた焼肉食べ放題はもちろん、

ほとんど行けなくなってしまう。

友達との外食が何よりも大好きな時間だったから

それを失うのも、批判を受けるのも怖かった。

 

だから友達には言わずになるべく肉が入ってないメニューを頼んだり

お腹がいっぱいだからと行って肉だけを友達にあげたりした。

 

でも、隠したまま完全にヴィーガンの食べ物を見つけることは難しく

自炊はヴィーガン、外食は出来る範囲で、と決めた。

 

親の反対

3年生になって寮からまた自宅に戻った。

 

母はヴィーガンであることを知っていたし理解してくれていた。

しかし父には言うなと言われていた。

「お父さん 厳しい イメージ」の画像検索結果

理由は聞かなくてもわかる。

父は、ベジタリアンやヴィーガンという考え方が好きでない。

 

ごちゃごちゃ考えずに、感謝して、

みんな同じものを食べるべきだという考え方だった。

 

私も父の批判を聞きたくなかったし、

口論したくなかったので言わなかった。

 

しかし一緒に食卓を囲んでいて隠すのは難しかった。

 

そのうち自分の中でもあやふやになってきて

肉を食べるようになった。

 

自分の中の矛盾

しかし、頭の中にはGary Yourofskyのスピーチが残っていたし

このままでいいのかという葛藤があった。

 

考えないようにして肉を食べることはできても

自分が間違ったことをしているように感じていた。

 

アメリカ留学

アメリカで留学を始めてからまたヴィーガンを始めたいと考えていた。

 

確かに思っていた通り、日本に比べてオプションが多かった。

 

それでも友達の反対や、外食での困難があって

ベジタリアンになったり、魚を食べるペスカタリアンになったりしていた。

 

しかし、アメリカで過ごしているうちに

自分の価値観を自分で隠したり恥じたりしては行けないと感じて

完全にヴィーガンになろうと決心した。

「vegan image」の画像検索結果

これから

きっと日本に帰ったらもっと難しくなるだろうし

バカにされたり非難されることもあるかもしれない。

 

でも食べたくないものは食べたくないし、

自分の心に従って生きたい。

 

友達に面倒がられるかもしれない。

でも、それで離れていく友達はそれでいいし、

それでも尊重してくれる友達ももっと大切にしたい。

 

今の自分の生き方が好きだし

これからもっと勉強して、どんな形であっても

環境や動物を守る夢を叶えたい 。

 

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